おばちゃんの疲れない生活

疲れやすいおばちゃん 生活日誌 消費しない生活

断捨離して暇になったお話

 

わたしは3月から急に思い立ち片付けをはじめ、洋服箪笥と衣類、日用品合わせて、40リットルのゴミ袋を60袋分も処分しました。広いお屋敷ならともかく、一人暮らしの1Kの汚部屋によくもまあーこれだけ溜め込んでいたと感心しました笑

もともと大の浪費家で、ストレスが溜まると買い物で発散する癖があったのですが、無駄に収納するスキルが高かったため そこまで散らかっておらず、所有量オーバーに気づいていませんでした。

だけど、捨てたもの一点一点 どうして買ったかと、どうして不用になったかを考えた際、大体が安いからとか、【厳選せずなんとなく買ったからなんとなく要らない】って物ばかりでしたね。

本当に勿体無いなと、、、物を捨てた事もですが、それより何より、必死で働いた時間とお金を不用品のために費やしていたのかと思うと呆然としてしまいました。【毎日クタクタになって働いたそのお金を、ガラクタに使わない】ことを反省し自分に約束しました。

 

物にかけられた怨念

物を捨てる時の罪悪感は、

時間が経つほど増し増しになっていく…

特に人の想いがこもった物は、長年所有していると捨てられないって、思い込んでしまわないでしょうか?

 

元カレからもらったプレゼント

家族や飼っていたペットの遺品など、

捨てたくても捨てられないものです。

捨てたくても、捨てられない気持ち=もはや自らが作り出した怨念です。

 

今日は仏壇を処分した。

私はいわゆる宗教2世で、

実家を出るときに断りきれず持たされた卓上の仏壇を、長年部屋の目につかない所に置いていました。

たまに目につくと、

【ああ、両親が死ぬまでは このままかな…】と、自然と考えてしまう事に胸が苦しくなっていた。

私自身は信仰心はまったく無く、

とてもじゃないが家は居心地のよい環境ではなかったので、両親には義理はあるが、まったく懐いていない。

そういったことから、実家にいた間は義理で、お付き合上、信仰(言われたこと適当に)をしていたが、自立して何年もたった今、その必要はあるのかな?

もう解放されたいと、昔の錆びた感情や傷もわき上がってきていつのまに涙が出ていた。

不思議なことに、見ると忘れていた子供のころ記憶が蘇ってくるんですよ。

こんな気持ちにさせる物をあと何十年か持ってる事は出来ないとわかり、処分を決めました。

 

物は物でしかない。

整理するのは自身の気持ちだと思いました。